2002年 |
2001年12月9日(日)【宮崎市】 宮崎県総合運動公園をメイン会場に第15回国際青島太平洋マラソンが開催され、今年は約6,800人の選手がエントリーした。忘れてはならないのが、約1,800人のボランティアの人たちが大会を支えたことだ。沿道での応援や給水、受付、交通整理などはボランティアの彼らによるものだ。僕は今回台湾からの招待選手の方々の通訳ボランティアを務めた。朝7時に集合場所となっているサンホテルフェニックスに向かい、宿泊している台湾人選手団と対面した。台湾からは、20人のマラソン選手団と、3人のマスコミ関係者の合計23人。市の国際交流協会に登録している5,6人の中国語通訳ボランティアが彼らをサポートする。僕が担当したのはハーフマラソンに出場する、2人の女子選手、陳さんと唐さんと監督の雷さんをハーフマラソンの出発地点に連れて行くこと。陳さんは大学1年生、唐さんは高校3年生で、監督が言うには、2人とも台湾では優秀な選手らしい。言葉通り、陳さんはハーフマラソン大会新記録で堂々の1位を修め、唐さんもトップを飾った。青島太平洋マラソンは、フルマラソンの他にもハーフ、3キロ、5キロ、10キロの各種目がある。台湾からの選手団は、中学生から年配の方までさまざまで、それぞれが各種目に出場した。大会が終わる昼過ぎになると皆とも打ち解けてきて、弁当を食べながら交流が始まった。
僕は台湾人の高校生グループ8人をオーシャンドーム(屋内遊泳施設)へ泳ぎに連れて行く引率を任された。彼らはとにかく元気がいい。僕自身も高校生に戻ったように一緒に楽しんだ。オーシャンドームで、施設の説明や水泳パンツのレンタルの説明など、たどたどしいがなんとか中国語で通訳した。中国語を始めて3年が経つが、自分でも良く成長したものだと感心する。(まだまだ満足はしていないけど・・・)台湾と中国大陸は同じ標準語(普通語)が使われるが、若干の表現の違いがあることに気づいた。"タクシー"という単語が大陸で一般に使われている"出租車"や"打的"で通じず、台湾人には"計程車"と言わないと通じないことなど、いろいろと勉強になるものだ。夜7時からオーシャンドーム隣のレストランで県の関係者を招き、歓迎レセプションが開かれた。すっかり仲良しになった高校生のグループとテープルを囲み食事を取った。「台湾へは行ったことあるの?」と訊かれ「行ったことはないけど、是非行きたい。」と答えると、「台湾へ来たら、ぜひ連絡をして下さい」と言われた。彼らのネームカードの裏に一人ずつ僕の名前と住所やe-mailを書いてあげて、ずっと連絡を取り合おうと約束した。台湾人には中国大陸の人とはまた違った優しさがあるように感じる。ある種、日本的な優しさで、日本人にはすぐになじみやすいと思う。言葉ができるとその分、世界が広がって自分自身を豊かにすることができると思う。言葉を学ぶことで、その国の文化や風習、モノの考え方などに理解を示すことができる。いつになるか分からないが、ぜひ台湾で彼らと再会できる日が来ることを願う
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