9月。
上海の空気が少し柔らかくなり、蝉の声の代わりに
夜風の音が窓から入り込む季節になった。
授業の合間に街を歩くと、屋台の人々が声を張り上げている。
来看看!新鲜的水果!(lái kànkan! xīnxiān de shuǐguǒ/見てって!新鮮な果物だよ!)
そんな声を聞くたびに、
この街は“音”で生きているんだと思う。
夜、寮の部屋でラジオのスイッチを入れた。
ノイズ混じりの短波から、懐かしい日本語が聞こえてくる。
「こちらはNHKラジオ日本です」
——遠く離れた国から届くその声音(shēngyīn)が、
上海の夜を少しだけ近く感じさせた。
ベッドの上で小さな短波ラジオを耳に当てながら、
僕はふと考えた。
声音(shēngyīn)不是只有声音。它有感情。
(声というのは、ただの音じゃない。感情があるんだ。)
聞こえる声の向こうに、人の存在が見える。
だからこそ、音は言葉よりも心に届くのかもしれない。
翌日、授業中に先生が言った。
听力(tīnglì)很重要。要多听,多说。
(リスニングはとても大事。たくさん聞いて、たくさん話しましょう。)
その言葉のとおり、
教科書を読むだけではわからない“生きた中国語”が
街の声の中にあふれている。
市場の笑い声、バスのアナウンス、ラジオのニュース。
それぞれの音が、僕の中国語を少しずつ育ててくれた。
ある夜、寮の廊下の奥からギターの音が聞こえた。
歌っていたのは韓国人の留学生だった。
小さな声で口ずさんでいたのは、
中国語の歌「朋友(péngyou/友達)」。
朋友一生一起走,那些日子不再有。
(友達は一生一緒に歩く。あの日々はもう戻らない。)
静かな声に、廊下を通る誰もが耳を傾けていた。
言葉の意味を完全に理解できなくても、
“声”が伝えるものははっきりと感じ取れた。
ノートの端に僕は書いた。
声音,是语言的心。
(声は、言葉の心だ。)
目で読むより、耳で感じる。
そんなふうにして、僕の中国語は少しずつ形になっていった。

今回の一言
“声音(shēngyīn)”——声には心がある。
言葉の意味を追うよりも、まずその響きを感じてみよう。
聞くことから始まる学びが、きっといちばん深い。