2000年10月。
国慶節(guóqìng jié)——中国の建国を祝う1週間、
上海の街は赤い国旗で彩られ、人山人海(rénshān rénhǎi/人の山・人の海)だった。
人民広場も外灘(Wàitān)も、人で溢れかえっていた。
車のクラクション、屋台の呼び声、そしてラジオから流れる歌。
上海の秋は、音で満ちていた。
その喧騒の中で、心に残った静かなできごとがある。
ある日、中国人の友人が1本のカセットテープを持ってきた。
日本から届いたばかりの郵便で、
彼の日本人の知人が送ってくれたものだという。
テープには一曲だけ録音されていた。
「山河(Shānhé)」——五木ひろし
日本語の歌なのに、最初は中国語の語りかけで始まる。
“你有没有从心底感受到生命的存在?”
(心の底から命を感じ取ったことがありますか?)
テープを再生すると、部屋の空気がふっと変わった。
流れるメロディーは穏やかで、どこか祈るようだった。
友人は静かに言った。
“寄这盘带子的人,现在在日本的医院里。”
(このテープを送ってくれた人は、今日本の病院にいるんだ。)
僕は黙って耳を傾けた。
「山河」は人生を見つめるような曲で、
その旋律が国境を越えて心に届くのを感じた。
友人がぽつりとつぶやいた。
“音乐能让人心相通。”(yīnyuè néng ràng rén xīn xiāngtōng/音楽は人の心を通わせる。)
僕はうなずいた。
“音乐没有国界。”(yīnyuè méiyǒu guójiè/音楽に国境はない。)
その言葉を口にした瞬間、
言葉を学ぶことと、音を感じることは同じなんだと思った。
伝えたい気持ちがあれば、国や言葉の違いなんて関係ない。

今回の一言
“音乐没有国界(yīnyuè méiyǒu guójiè)”——音楽は国境を越える。
言葉が違っても、心があれば届く。
音と声が交わるところに、ほんとうの「交流(jiāoliú)」がある。