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中国の正月”春節”

2001年1月22日(月)
7時10分上海発の高速バスに乗って、無錫には9時20分に到着した。今回は、旅行用のバッグの他に、ノートパソコンにビデオカメラと荷物が多い。無錫駅には既に無錫人の友人の許贇(シイン)が待っていた。今回の無錫へ来た目的は、ただ一つ、中国人の家庭で、伝統的な中国の正月「春節」を体験することだ。できるだけ形として記録したいという想いから、今回ビデオカメラを持っていって撮影することにしたのだ。許贇の実家がある馬山までは、無錫市内からタクシーで30分ほど。農村の家々で大掃除をしている光景を目にした。24日かが新年なので、この時期は大掃除になるのだろう。彼の両親とも久しぶりに再会した。23日が除夕(大晦日)、24日が新年になる。

2001年1月23日(火) 除夕
今日は大晦日に当たる、除夕。許贇(シイン)と一緒に彼の親戚の家をまわる。どの家にも爆竹が置いてある。許贇の85歳の祖母とも3ヶ月ぶりに再会した。前回は体を悪くしていたが、今日は自分で杖をつきながら歩いて来て、僕を見ると微笑みかけてきた。ちゃんと憶えていたのだろう。この地方の方言「馬山語」で話しているので、何をいっているか分からないが、表情だけで十分伝わってくるものがある。彼の両親が料理を作っているところや、親戚と共に楽しそうに話しているところをビデオカメラで撮影した。夜ご飯を食べた後、爆竹を鳴らす。ものすごい音を立てて飛び散る。この張り裂けるような音で鬼を追い払うらしい。どの家でも爆竹の音がして、止むことがない。この日の夜は多くの中国人がテレビでを見て楽しむ。たくさんの歌手や芸能人が出てくる番組だ。日本で言うところの”紅白歌合戦”に近いだろう。


めでたいときに爆竹は欠かせない

久しぶりに親戚、友人が集う

 

2001年1月24日(水) 新年・初一
今日は24日、新年。今僕が来ている、馬山は人口3万人の農村、無錫市内とは全く異なる静かな農村の風景が広がっている。ただ、昨日から今日にかけては、新年を祝う爆竹の音が鳴り響き、止むことはなかった。
親戚がやってくるたびに「新年好!」 と笑顔で新年の挨拶を交わす。どの家も特産のお茶とお菓子でもてなしてくれる。お菓子といっても、ピーナツやヒマワリの種だ。こちらに来てすっかりヒマワリの種には慣れてしまった。実は、ここ馬山は第二次世界大戦の時に日本軍にかなり痛めつけられた場所らしい。こうして村人たちと楽しくお茶を飲みながら、ふと、戦争がいかに愚かなものであるかと考え込んでしまった。明日は、上海交通大学からもう2人の日本人の友人がやってくる。

2001年1月25日(木) 初二
今日の午前中、許贇(シイン)と一緒に市場に料理の材料を買出しに行く。 上海から2人の日本人の友人が来るので、彼らとそして親戚にご馳走する料理の材料を買いに行ったのだ。僕の方も日本の味噌汁を作るべく豆腐や椎茸、季節の野菜を見にいった。新年ということもあって、市場の半分以上の店が休業していた。中国人の友人と両親、親戚、そして上海から来た日本人の友人、合計10人が食べるご馳走が夕方に並んだ。僕が作った味噌汁もなかなか好評だった。太湖で捕れる新鮮な魚介類をふんだんに使った料理。家庭で食べる中華料理は実においしいものだと感激した。この春節の雰囲気というのは日本の正月とはまた違ったものだろう。

2001年1月26日(金) 初三
今日は、新年3日目。窓を開けると小雪がぱらついていた。中国の農村の風景を記録しようと、ビデオカメラを手に外に出た。日本の農村とは変わる事のない自然の風景であったが、すぐに「来、来、来!」と呼ぶ声がして、振り向くと、遠くの方で手招きをしていた。ここの家の子供が上海の大学に通っていて、顔見知りになっていた。馬山に来たのは今回3回目、ずいぶん近所の家庭で顔が知られてしまった。珍しい物を見るようにビデオカメラを眺める小さな子供だち。農村の風景を記録する目的がいつしか、お茶とお菓子をご馳走になっていた。夜は、別の親戚の家で夜ご飯をご馳走になって、馬山に来て5日目で、かなり手の付けようのないくらい酔っぱらってしまった。

2001年1月27日(土) 初四
馬山滞在最後の日。馬山の観光地、"霊山大佛"に行く。馬山のどこからでも拝める巨大な大仏だ。新年になってまだ一度も"焼香"(初詣で)に行っていなかった。夕方になりとうとうこの家に別れを告げる時がやってきた。許贇(シイン)の両親と親戚に6日間の心からの感謝を告げ馬山を後にした。彼の父は、以後日本に帰ったあとも機会があれば、中国に来て、この馬山に顔を見せに来るように言われた。だが、来月、日本に帰った後、次に中国に来るのはいつになることやら分からない。タクシーで馬山を離れ、無錫市内に着いたころには、とっくに日が暮れていた。明日は、中国人(無錫人)の友人の妹の結婚式に出席する。


霊山大佛

霊山大佛から見渡す光景

2001年1月28日(日) 初五 中国の結婚式に参加する
無錫市内で、許贇(シイン)の友人の陸志峰(ルージーフェン)の妹の結婚式に出席する。中国の伝統的な結婚式、まずは新郎が新婦の家に迎えに行く。新郎が乗った車が新婦の家、つまり陸の妹の家に到着すると同時に爆竹を鳴らして祝う。その後、みんなで新婦の家の中で小さな甘い団子が入ったスープを食べる。これも結婚式の時に食べる料理らしい。しばらくすると、新郎・新婦を乗せて、今度は新郎の家に行く。新郎の家でも到着すると同時に爆竹が鳴り響き、家の中では、さっきと同じようなスープが用意されていて食べる。そして最後にホテルに行って披露宴をあげる。ホテルの会場にはすでにたくさんの親戚や友人、会社の同僚が来ていた。新郎・新婦・それぞれの両親が挨拶をする。これが終わると自由に食事を始めるのだが、新郎新婦は全てのテーブルを回って、挨拶をし、つがれた酒を飲みかわす。本気で飲んでいたら全部のテープルを回り終わるころには泥酔してしまうので少しずつ飲んで回るらしい。めでたい結婚式でたくさんの費用がかかってしまうのは日本も中国も同じみたいだ。驚くことに今日の新郎新婦はインターネットを通じて知り合った"網友"だったらしい。
夕方5時のバスで無錫市内を後にし、1週間ぶりに上海へ戻った。


@新郎を乗せた車が新婦の家に到着

A新郎は花束を持って花嫁を迎えに上がる


B新郎は新婦を連れて新郎の家へ

C2人を乗せた車が新郎の家へ向かう


D新郎の家では親戚が出迎える

E紙吹雪や爆竹でお出迎え


F甘い団子のスープを食べる

G最後はホテルで披露宴


H新郎、新婦、それぞれの両親

I契りの杯を交わす


J全てのテーブルを回り乾杯!


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