TOP >> 上海留学日記2000 (2000年4月〜2001年2月の交換留学生活)
 


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2000年11月1日(水) 中国・日本の言葉の違い
上海は1日中、冷たい雨が降った。中国と日本では、言葉の概念や解釈に隔たりがあるものがいくつかある。例えば、友だちの意味の「朋友」。「朋友」は仲の良い友人関係において良く出くわす中国語だけど、「朋友」が持つ意味は非常に複雑だと思う。例えば、1人の中国人と、ちょっと知合いになる、その時点で、すぐ「朋友」になる。”みなさん”という呼びかけで「朋友」を使う事もある。実際それほど仲が良いか悪いかは構わず、「朋友」である。中国人は人と人との関係が非常に複雑な民族だ。公安に「朋友」がいるから、安心してビジネスができたり、生活が安定したり、逆にいうと「朋友」を利用する民族なのかもしれない。日本人はそれほど複雑じゃない。法律があってないようなこの国で、「朋友」が持つ意味は非常に重い。

2000年11月2日(木) 全国人口調査
上海の至る所で、「全国人口調査」の垂れ幕が掛かっている。中国全国の人口を把握するためのもので、昨日から全国一斉に始まった。10年ぶりの人口調査らしい。500万人の調査員と100万人の指導員が10日間で、3億5000万 の家庭を訪れ、人口調査を行うらしい。最終的に調査結果が公開されるのは2002年になるらしい。 世界1位の人口を有する中国での人口調査。規模が規模だけに、圧倒される。

.2000年11月4日(土) 華亭路
上海の自由市場「華亭路(フアティンルー)が17年間の歴史に幕を閉じた。華亭路と言えば、800mの長さの路地の両脇に店が並び、CD、衣服、時計、靴など日用品が何でも揃う、自由市場であった。しかも、売られている製品の大部分が偽ブランドや輸出に失敗した製品。デパートで買うよりも、安くで、そして、掘り出し物を見つけることができることで、上海人ばかりでなく、旅行客にも人気のひとつの観光スポットにもなっていた。週末だけでなく、平日もたくさんの人で賑わっていた「華亭路・自由市場」は政府の指令どおり、11月1日姿を消した。この背景には中国のWTO加盟と関係があるらしい。多くの上海人が言う、「 華亭路に勝る場所はどこをさがしてもないだろう。」

2000年11月5日(日) 差別
この社会にはあらゆる差別が実在する。都会の人間と田舎の人間、東洋人と西洋人。昨日、欧米人の誕生パーティーに出席して、それを実感した。ある1人の欧米人の女の子が僕ら日本人とインドネシア人のテーブルから遠慮無しにお菓子や飲み物を取っていく。そのお菓子を食べながら、欧米人と楽しそうに会話をしている。それも1回だけじゃなく、他のテーブルでも同じような感じ。少しの間、その女の子を観察していたら、友人が教えてくれた。「彼女は東洋人と西洋人を差別している!」と。全ての欧米人ではないが、時々アジア人などの東洋人を見下した欧米人がいるそうだ。生まれて初めて、肌の色で差別され、侮辱を受けた瞬間、怒りと憤りを感じた。これも一つの貴重な体験かもしれないが…。

.2000年11月6日(月) 上海カニ
上海の秋の味覚と言えば、上海蟹(カニ)と言われるほど、日本人の間で上海蟹の知名度は高い。今日の夜、話題の上海蟹を食する機会に出会った。蟹と言えば紅色と想像するけれど、上海蟹は黒がかった墨色とも言う色だろうか?大きさは思ったより小さく、手のひらほどで、150元くらい(約2,000円)。蟹は調理をする前に実際に見せてもらった方が無難かもしれない。蟹は雄と雌では味に違いがあるらしい。蟹をゆでた料理のほかにも、スープにしたり雑炊にしたり、豆腐と混ぜて炒めたりと非常に種類が豊富だ。極めつけは蟹の肉を使った焼き餃子。これはこんなにおいしい蟹の食べ方があったのかと再認識させてくれるような味わいだ。上に書いている蟹雑炊や蟹の焼き餃子は、実際にはメニューに載ってない。高級料理店になると、客の注文に応じて、頼めば何でも作ってくれるのだ。

2000年11月7日(火) 上海のタクシー
昨日、タクシーに乗ったときのこと。タクシーの運転手さんが僕の中国語を聞いて「君は広東人か?」と訊いてきた。僕は、自分が日本人であることを教えた。すると、30歳前半のその運転手が「小日本から来たのか、それとも大日本から来たのか?」と再び尋ねてきた。僕はその意味が分からなかったので、意味を訊くと、彼は「日本は負けてしまっただろ!だから小日本なんだ」と話し出した。”負けた”とは第2次世界大戦のことを意味しているのだろう。「日本人は悪い。日本のアジアに与える印象も良くない。この前も韓国の人が日本はイヤだと言っていた。」と運転手は続けて言い出した。一気に気分を害した僕は「実際に日本に来た事がないのに、どうして日本人が悪いと分かるのか?」と言い返した。しかし、彼は聞く耳を持たなかった。目的地に着くまで、会話はなかった。いくら日本が好きであろうが嫌いであろうが、運転手の仕事をしている以上、タクシーに乗っている客に嫌な思いをさせるのは、良くないと思う。一見、便利さのあまり、日本にいるように錯覚してしまう上海で、時々日本人として考えさせられる事は、少なくない。個人と個人の付き合いに国家間の問題が挟まる時、非常に複雑な気持ちになってくる。中国にいる以上、言葉には気をつけなければならないけれど。

2000年11月8日(水)
今週は中間試験中。月曜日「口語」、火曜日「精読」、水曜日「聴力」、木曜日「写作」、金曜日「閲読」と、毎日詰まっている。今週の試験が終わると、19日に中国語検定を受けるのでその準備、そしてその後、初めての北京旅行が待っている。今学期は来年1月末で終了する。留学生活も残りわずか、最近自分の留学生活を振り返ったりする。最初に抱いていた目標は達成できているのだろうか?今の生活は果たして自分が思い描いていたものなのだろうか?因みに抱いていた目標というのは、語学の習得はもちろんであるが、できるだけ多くの中国人と交流して、彼らの文化・習慣・考え方などを理解するということ。実際のところ、中国や中国人を理解するということは、実に奥が深いし困難なことだ。

2000年11月9日(木) 中国人の恋愛
中国人は恋愛に対して、日本人より開放的な面があると思う。今日の夕方、寮に通じる細い路地を自転車で通っている時に、どうも前に2人の学生が話しをしている。まったく邪魔だなーと思いつつ、やっとの事で、自転車でよけて通過すると、なんとこの2人の学生はキスの最中だった。これに限らず、中国ではよく夜道や暗い公園の中、それも結構、目につきそうな所で、堂々と愛を育んでいる。日本人だったら絶対こういう場所では恥ずかしいだろうという所で、こういう光景に出くわす。表向きにはラブホテルが存在しない中国では、場所がないのだろうか?とりわけもないことを考えながら、国際寮にたどり着いた。

2000年11月10日(金)
今日で試験が終了。 昨日は11月9日、119のゴロ合わせで、消防の日だったらしい。消防の訓練があったみたいだ。因みに、中国は警察は110番、消防は119番、救急は120番。消防と救急は番号が分かれている。

2000年11月11日(土) 中国人との友達付き合い
歩いていると、吐く息が白い。上海にも冬が少しずつ近づいている。特にこの2日間はとても寒い。今日の夜、日本人の友人の家に招待されて、中国式鍋料理である”火鍋”(フオグオ)をご馳走になる。彼は交通大学で機械関係の専攻をしている本科生。寮ではなく、外に部屋を借りて住んでいる日本人も少なくない。中国語ではなく、その他の専門を勉強している本科生は中国人とたくさん交流する機会があって羨ましいかぎりだ。僕以外に彼の同級生の中国人(上海人、福建人)も2人ほど、家に来て一緒に食べた。料理を囲むと2ヶ国でいろんな話題飛び交う。日本のテレビ番組のこととか中国にも合コンがあるのかとか… 国と国の付き合いよりも、人間と人間の付き合いがやりたいと、常々実感する。

2000年11月12日(日)
今日の夕方、昨日の夜、日本人の家で鍋を食べたときに友達になった中国人から電話がかかってくる。名前を楊文平(ヤンウェンピン)、交通大学の4年生。僕の日本人の友達の同級生、同じ機械を専攻している。昨日、帰り道に少し話しをして、また電話すると言っていたのだ。国際寮の桃李苑から彼の学生寮までは、歩いて2分ほどなので、会う事に。久しぶりに中国人の学生寮に入った。1つの部屋の中で4人が生活する。エアコンはないし、床はコンクリート張り。夏は暑く、冬は寒い。留学生寮とは比べ物にならないくらい粗末だ。でも、こういうのには慣れているらしい。楊は福建人で僕と同じ22歳。大学に入学したばかりのころ、故郷の福建から遠いここ上海で、ひどく孤独だったらしい。いろいろな話をした。中国の大学生は日本の大学生に比べると、すごく真面目で、とにかくよく勉強する。そして日本人の大学生よりも生活は質素で苦労が絶えない。中国の大学生から学ぶべきものは決して少なくないと思う。

2000年11月13日(月) 上海で病気・診療
中国に留学して生活するというのは、時として想像以上に神経質になったり、ストレスにさらされる危険がある。上海に来ていたある日本人留学生の女の子は先日、親に連れられて、日本に帰ってしまった。留学生事務室は何もしてくれない。彼女の場合、友達はいなかった。周りに住んでいる日本人留学生が彼女の態度や行動の異変に気が付き、このままじゃやばいと思い留学生事務室に彼女の親を呼ぶように、説得。そして両親が日本から迎えにやって来て、日本に連れて帰った。もし、周りの日本人が何もしていなかったら彼女はどうなっていたのだろう?もし、留学生寮じゃなく、外に住んでいて、誰も気が付いていなかったら… そう考えるととても恐ろしい。中国と日本では同じように見えても、習慣の違いなどで、来たばかりの時はとにかく疲れる。そして、日本と違う様々なことに対して、ついつい腹を立ててしまう。留学生活では、自分の精神面でのコントロールもしっかりしておいた方がいい。いざとなった場合は何でも相談できる友達、それも同じ日本人の友達を持っておいた方がいいとつくづく感じる。

2000年11月15日(水)
中国人と共に授業を受けている、日本人の友達からe-mailが届いて、興味深かったので、紹介しよう。
昨日、国際関係って授業で、東欧の変革が世界に与えた影響とか、共産主義についてとか討論したんだけど、日本人とは違う考えが聞けて面白いよね。歴史問題とかも。それでさ、知ってた? 中国って社会主義初級段階なんだって。だからいろいろな不都合は有るけど、何時かはすばらしい社会主義国家、世界が実現されるんだって。それはもしかしたら西暦3000年とかに成るかもしれないし、もっと後かもしれないけど…。昨日の討論は先生のこの発言で締めくくられちゃった。討論が一気に現実から夢の世界にすっ飛んでいく。すごいよね。これは中国的な考えなのかな?俺は共産党的って思ってるんだけど。 前は妙に怒りを感じたりしたけど、不思議で面白いな、最近は。違う考えに触れて、日本が少し分かって気もするし。

2000年11月16日(木)
北京の友人と久しぶりに連絡を取る。北京中央民族大学に留学している日本人の友人で、今回北京へ行く際は、いろいろとお世話になる。泊まるのはホテルではなくて、安くで泊まれる大学の留学生寮。その手配を頼んだり、上海へ帰る時の列車の切符を先に買ってもらっておいたりと。今日、どうも北京は雪が降ったということだった。上海より10度以上気温が低い北京の寒さに耐えられるのだろうか?北京へは列車で14時間。「新空調硬座特快」というエアコン付きの一番安い席で179元(2,330円)。23日の夕方6時に出発して、翌日の朝8時に北京へ着く。北京ではどういう旅が待っているのだろう。

2000年11月17日(金)
どうも上海の各大学では毎年のように自殺をする中国人学生がいるらしい。交通大学の友人が教えてくれた。勉強や生活に対するストレスや恋愛のことが原因みたいだ。大学内の木に首を吊って死ぬ学生や屋上から飛び降りる学生など、話を聞くだけで生々しい。受験戦争やストレス社会は何も日本に限った事ではなく、ここ上海でも切実な問題みたいだ。上海の大学は特に競争が厳しく、親や社会からの負担も重く、行き場を失ってしまう中国人学生もいることを忘れてはいけないのだろう。

2000年11月18日(土)
明日は、中国語検定を受けに上海師範大学に行く予定。中国語検定は中国では、北京と上海で受験できる。明日が終われば、北京へ行く準備に取りかかる。北京の寒さにどう備えようか?

2000年11月19日(日)
上海師範大学に中国語検定を受けに行く。大勢の日本人留学生が受験に来ていた。結果は2ヵ月後に来る。夜に日本人の友達が彼の友達が宮崎からやって来るということで、一緒に虹橋空港へ迎えに行く。その宮崎の友達は知合いではないけど、宮崎は僕の実家でもあるので、一緒に着いて行くことにしたのだ。虹橋空港に飛行機が着くたびにたくさんの日本人が降りてくる。毎日、すごい数の日本人が出張やツアーで上海へやって来ているのだと改めて実感する。久しぶりの宮崎弁を聞いて、実家に帰った気分。どうも上海よりも宮崎の方が寒いらしい。

2000年11月23日(木)〜29日(水) 北京へ旅行に行く

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