TOP >> 上海留学日記2000 (2000年4月〜2001年2月の交換留学生活)
 


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2001年1月2日(火) ホームページをご覧の方へご挨拶
明けましておめでとうございます。昨年、2000年は上海へ留学に来た年として、忘れられない1年になりました。1年間の留学生活を何かの形で、残しておきたい、できればたくさんの人に見てもらえれば、との思いでこのホームページを2000年4月に立ち上げました。初めはごく親しい友人に向けてのホームページでしたが、予想以上に反響があり、インターネットの持つ影響力には驚かされたものでした。ホームページの内容は極めてシンプルで、上海で生活して感じた事を毎日、日記にしたり、デジカメで写真を撮ったり、また旅日記などをホームページに載せたりと…。上海へ留学を考えている方や、上海に留学している子供を持つ親御さんからのたくさんの感想や質問のe-mailを頂くたびに、このホームページが、お役に立てているのだと感激したものでした。上海留学は今月、1月末で終わりますが、このページは何らかの形で新しい情報を載せていくつもりです。今年もどうぞ宜しくお願いいたします。   宮崎県宮崎市にて

2001年1月6日(土)
今日夕方の飛行機で宮崎を発ち大阪へ行き、明日再び上海へ戻る。再来週15日からは、交通大学で期末試験があり、それが終わると、留学期間も終了する。その後、大体2月下旬まで中国に滞在する予定。今回、宮崎から上海へ戻る際に、ビデオカメラと三脚を持って行く。目的は中国人の生活や生の中国を映像として記録するためだ。中国の正月「春節」は1月24日ごろから始まる。1年の中で、中国人が一番盛大に祝い、楽しみにしている?のがこの「春節」だろう。かつて、中国ではこの「春節」の時に、普段は食べない豪華な肉料理を口にしたらしい。1年間の留学生活の集大成として、正月「春節」の模様を含めてビデオカメラで中国を記録しようと思う。

2001年1月8日(月)
昨日のこと。朝10時の大阪発上海行きの飛行機に乗って上海に帰ってきた。上海の新空港・浦東空港から交通大学までは、かなりの距離がある。上海の観光地図上では、東の隅から西の隅に行くような感じ。タクシーを使うと190元(約2600円)もかかってしまうので、空港から出ているリムジンバスで大学の近くの徐家匯(シージャーホエ)まで行ってそこからタクシーで大学に戻ることに。バスだと料金も17元(約230円)と安くで済む。バスに揺られこと1時間。久しぶりというか1週間ぶりの上海は、1月24日の新年(旧正月)を迎える雰囲気を漂わせていた。1週間離れるだけでも感覚が違い、新鮮ささえ感じた。いつのまにか地下鉄2号線も1駅東に延長されているし、上海の変化は激しい。宿舎に帰り、中国人と日本人の友人と再会を果たした。

2001年1月9日(火) 中国人は日本の演歌が好き
昨日の夜、中国人の友人数人と一緒にカラオケに行った。キャッシュボックスという名前の高級カラオケで、日本語の曲もたくさんある。ある1人の中国人の友人は日本滞在歴5年で、正月を過ごすために日本から上海に里帰りして、久しぶりの再会だった。彼は日本の演歌が大好きだ。彼に限ったことではないが、日本留学経験のある中国人は日本の演歌を好んで歌うような気がする。日本ではもう演歌はすでに過去の物で、多くの若い人は見向きもしなくなったと思う。僕もそうだった。しかし、改めて異国の地で、日本の演歌を聞くと何とも言えない、ゆったりとした気分に浸ることができるのはなぜだろう?中国人の友人が僕に提言した。日本は演歌をこれから、もっと大切にして、残していくべきだと。友人が流暢に歌う日本の演歌を聞きながら、日本人である自分が一曲も演歌を歌えないことに、少し恥じらいさえ感じた。テレビに映し出された、演歌の歌詞に目をやりながら、演歌の中には実に多くの日本の文化や伝統を表す言葉が巧みにそして整然に盛り込まれていることに気づいた。

2001年1月10日(水) 真冬の花火
花火は夏にやるという考え方は恐らく日本人の固定観念に過ぎないのだろう、というより習慣だろう。今日、中国人の友人と外灘(ワイタン)を歩いていると、花火を売っている人を見かけた。日本人だとこんな季節に花火とは・・・?と不思議に思うかもしれないが、花火はここ中国では、新年を迎える時のものらしい。つまりちょうどこの季節のもの。 新年は中国の正月(春節)、今年は1月24日を指す。早速、友達と花火を買ってみた。束の中に線香花火が十数本入っていた。花火にライターで火を付けて、線香花火からきれいに広がる火花を見ながら、歩く。周りの中国人が僕らを見て、微笑んだ。こういう時、言葉は何もいらない。冬に寒く息を吐きながらやる花火もいいものだと感じた。

2001年1月13日(土)
来週は期末試験なので、その準備をしようと部屋で勉強した。 夕方、中国人の友人に誘われて、温泉に行く。彼の会社の取引先の温泉から無料チケットをもらったから行かないか?と電話がかかってきたのだ。 23歳の彼は高校を卒業して友人と株を出し合って会社を作ったらしい。温泉の中には使い捨ての歯ブラシやらヒゲソリが置いてあるが、 そういう物を仕入れる仕事をしていると教えてくれた。行った先の温泉の社長と握手なんかを交わして若いのになかなかやり手だなと 思った。それはそうと温泉から帰って、大体深夜の1時頃だったと思う。上海になんと雪が降っているのを見た、小雪ではあるが。午後11時くらいから、約2時間降っていたらしい。異国で見る雪…上海は雪が降らないと聞いていたので、雪を見て、すごく興奮してしまった。明日はもっと寒くなるだろう。

2001年1月14日(日)
起きて外に出てみると、すごく寒い。歩いていると肌が凍りつくような感じがした。しかし、北京は比べものにならないくらいもっと寒いと思うけれど。今日、近くのデパートへコーヒーのフィルターを買いに行った。日曜日ということもあって、どこもかしこも人でいっぱい。今、上海のデパートの中は新年を感じる物が並んでいる。赤一色で「恭賀新年」と書かれた小さい掛け軸や爆竹を真似た飾りなど。こういうのをいたるところに飾って、まもなく来る新年「春節」を祝うのだろう。その春節まで10日を切った。初めて迎える中国でのお正月。でも、その前に明日から3日間の試験が待ち受けている。

2001年1月16日(火)
試験も明日で終了して、春休みに入る。昨日、知り合いの日本人のおじさんが興味深い話をしてくれた。「例えるならば、中国は"おじいちゃん"、韓国は"お父さん"、そして日本は"孫"だと。」 一瞬何の意味なのか分からなくなるが、次のような事らしい。要するに中国には、日本や韓国が持っている文化がある、と。確かに日本人が中国に来て、発展が遅れているとか思うかもしれないが、そういう表面的な物じゃなく、もっと奥深い根本のどっしりした物が中国にはあると。それを一言で表すならば「文化」だろう。中国の5カ年計画はずっと続いているし、先の見えない未来を描きつづけている。どうなるか分からない日本の政治とは、全く性質が違うと。中国に来る日本人には2タイプの人間がいると言われている。ひとつは、中国がすごく好きになる人、もう1タイプはその逆で、中国が大嫌いになる人。僕自身は前者かなーと思う。この国に来て思うことは、何か安心できる物がこの国には根付いていると。それは長年の歴史に裏打ちされた悠々とした、言葉では表現できないものなのだろう。留学生活が間もなく終わる今、思うことはこの国は日本とは似ているようで、実は大きく異なる部分が存在すると。しかし、本質的なものは日本も中国も一緒のような気がする。

2001年1月17日(水) 上海でパソコンを修理
月曜日からのテストが今日で終わった。実は先日、ノートパソコンが壊れてしまって、1週間ほど使えず途方にくれていた。メールチェックやホームページの更新も友人のパソコンを使ってやっていた。今日、日本人の友人の紹介で交通大学の隣にある「交大ホエグー」というビルの中のパソコンショップでパソコンを見てもらうことにした。友人の紹介してくれたその店の人は実に丁寧にパソコンを見てくれて、ハードディスクが壊れているから交換した方がいいと言われた。しばらく考えたが、ハードディスクを買うことにした。ノートパソコンのハードディスクなので、日本で買うよりも随分高いだろうと思っていたが、その店の彼が同業の友人に電話をして、持ってきてもらい、結局は日本で買うのと同じくらいで買い、その後のセットアップまで全てしてくれた。日本だと、メンテナンス料やら何やらで高く金額を取られるだろう。上海と日本のパソコンショップについて考えてみた。上海の場合、パソコンショップとは言えど、その中にいくつもの小さく区切られたスペースにお店が入っている。まるで秋葉原のパーツ屋さんのような感じだ。日本の量販店や家電店とは大きく異なる。サービスについてだが、結構その場で細かく気のきく作業をやってくれるし、何と言っても、その日の内に直してくれたりして、早い。ここではパソコンについて十分知識がある人間がパソコンを売っている。日本のように、覚えたての知識を詰め込んだバイト生が売るのとは訳が違うのだろう。とにかくパソコンはもと通り使えるようになって、ホッとしたが、高い買い物をしてしまった。

2001年1月19日(金)
知り合いの会社は今日、大掃除をして、明日から1週間の正月(春節)休みに入ったみたいだ。街を歩くと新年を迎える飾りが目立つ。そう、中国は日本とは違って、本当に旧正月である春節を盛大に祝う国なのだと実感する。毎年違うらしいが、今年は1月24日が新年にあたるらしい。つまり23日が大晦日というわけだ。来週の月曜日から1週間、無錫に行くので、バスの切符を買いに行った。この時期は切符売り場は、里帰りをする人で混雑していた。もうすぐ中国全国で帰省ラッシュが始まることだろう。

2001年1月21日(日) 上海で病気・診療
昨日の夜、日本人の友人とご飯を食べる約束をしていたので、待ち合わせをして、普段は食べないような豪華な中華料理を食べに行った。4人で食べて、1人大体1000円くらい。日本の中華料理のコース料理に比べれば、断然こちらの方が安い。友人とは、久しぶりの再会だったので、いろいろと話が弾んだ。レストランを出て、大学に歩いて戻っていたが、どうも体がかゆい。その時は別に気にせずに宿舎に戻り、そして手洗い場の鏡でかゆいなと思いながら、ふと服を捲り上げて見ると、びっくり。なんと体中に見慣れないものができている。そう蕁麻疹(ジンマシン)だった。どうもレストランの海老料理が原因だったみたいだ。すぐに保険会社に電話をして、病院を手配してもらい、華山医院で診察してもらった。時間はすでに夜中の1時になっていた。塗り薬と飲み薬を飲んでなんとかかゆみは治まり、今日の朝はジンマシンも消えていたが、ショッキングな体験になってしまった。

2001年1月22日〜27日 中国のお正月”春節” 
中国のお正月”春節”

2001年1月31日(水) ルームメイトの韓国人
今日はルームメイトの韓国人・チョン(鄭)とのお別れの日だ。彼は昨年の8月にやって来て、約半年間同じ部屋で生活してきた。今日の午前11時の飛行機で韓国に帰った。26歳の彼は帰国後、大学があと1年残っているらしい。今思えば、韓国という国を身近に感じることができたのもチョンとの共同生活があってからこそだろう。僕自身、今年の4月から韓国語を勉強することを決意している。上海虹橋空港に見送り、最後に握手を交わした。上海に来て10ヶ月、出会いと別れの繰り返しだった留学生活も、もうすぐ終わる。今度は自分自身が見送られるのだろう。

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