TOP >> 上海留学日記2000 (2000年4月〜2001年2月の交換留学生活)
 


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2000年9月1日(金) ルームメイトの韓国人
今日から9月。今日は夜、先月下旬に来たルームメイトの韓国人を食事に誘う。1つの部屋で韓国人と日本人が部屋をシェアして生活しているわけだが、普段は別にそれほど会話はない。仲が悪いというわけでなく、あまりルームメイトとベタベタした付き合いをすると長続きがしないような気がするからだ。何か尋ねたい事があるときに、話をするだけ。お互いに程良い距離を取って生活していると僕は思う。だから今日の夜は初めて一緒に夜ご飯を食べて、面と向かって話をしたという感じだった。彼は現在26歳で、韓国の大学を休学して、これまでの半年は北京の清華大学に留学していたらしい。そしてこれからの半年を上海のここ交通大学で勉強する予定らしい。

2000年9月2日(土) NHKの短波放送を聴く
最近愛用しているのが先週上海市内で買ったラジオ。中国国産のラジオで値段は約200元(2600円)。このラジオはAM、FMそれに短波も入るので、毎日夜になると、短波の9.75MHzに合わせて、NHKが全世界に向けて放送しているNHKの国際放送”ラジオ日本”を聴いている。日本のニュースがリアルタイムに聴けるとあってなかなかこの短波ラジオは手放せない存在になりつつある。NHKラジオ日本のホームページ

2000年9月3日(日)
大学の近くの徐家匯(シージャーホエ)にある港匯広場では毎週末ライブっぽいのをやっている。歌を聴きつけてすぐにたくさんの人が集まってくる。買い物帰りのおばさんやバイクで通りかかったおじさんが路上に止めて聴き入ったり、若いカップルが集ったりと、音楽を聴く姿勢はこの国は実に自然だと感じる。

2000年9月4日(月)
上海交通大学は来週から新学期が始まる、というより新学年がスタートする。ここ2、3日、世界各国から留学生が留学生宿舎である桃李苑(タオリーエン)にやってきていて、いよいよ始まるなといった感じだ。

2000年9月5日(火)
国際寮の4階で、新しい留学生を迎えてのパーティーが開かれた。参加したのは大体50人くらい、日本人、韓国人が大半。

2000年9月6日(水)
明日、バイトで楊州に行く事になったので、バイト先の広告会社でその説明を受けた。楊州へは上海からバスで片道3時間半くらいかかるらしい。明日、朝、行って夜には帰る予定。

2000年9月7日(木)
朝9時のバスで上海から楊州へ向けて出発する。楊州へは4時間後、午後1時に到着する。楊州市民政府の中にあるパソコンで日本語が使えるようにセットアップする。本来ならば、今日中に上海へ戻る予定だったが、時間がなくなったために1泊して明日戻る事に。

2000年9月8日(金) 騙す中国人
朝、8時50分のバスに乗って、楊州をあとにし上海へ午後1時に到着。楊州では結局、観光をすることはできなかった。夜、前から復旦大学の友達に誘われていた、上海市内のディスコ「DKD」のテクノのイベントに参加する。上海に来て以来、友達の影響でディスコにはまってしまった。ディスコの外で羊肉を売っていた中国人が自分が着ているイベントTシャツを150元(1950円)で買わないかと僕たち日本人に言ってきた。確かに、イベントのロゴが入っているし…、でも実際はそのイベントTシャツは80元(1040円)で、羊肉を売っていた彼らが着ていたTシャツは単にイベントのステッカーを貼り付けただけの偽物であることに気付いた。騙されなくて良かった.....

2000年9月9日(土)
2,3日前に雨が降って以来、上海は急に涼しくなってきて、過ごしやすくなった。外を歩いていても、Tシャツを着ている人の数は少しずつ減っていって、長めのYシャツとかに変わっていっている。

2000年9月10日(日) NHKの短波放送を聴く
夕方5時から短波ラジオでNHK「地球ラジオ」を聴く。「地球ラジオ」はNHKが日本国内にはラジオ第1放送(中波)、海外には国際放送・ラジオ日本(短波)で日本国内と全世界に同時生放送しているもの。世界中で放送を聴いているリスナーがEメールやFAX、手紙を送り、それを放送の中で紹介する、地球規模の双方向番組である(NHKの番組紹介から抜粋)。今日の番組のテーマは「世界のティーンエージャー事情」だった。地球ラジオのホームページ

2000年9月11日(月) 中秋節
交通大学では今日、始業式があった。明日から本格的に授業が始まる。夜は無錫人の許贇(シイン)と陳馳(チェンチー)それに彼の彼女の3人が部屋へ遊びに来た。明日は中秋節(中秋の名月)だからと中国で中秋節のときに食べる伝統的なお菓子「月餅(ユエビン)」を持ってきてくれてみんなで味わった。中秋節(中秋の名月)は中国、日本、そして韓国にもあるらしい。韓国の場合、4日間学校が休みになるらしい。同じ文化や風習を共有しているのだ、とつくづく感じた。

2000年9月12日(火)
今日から授業が始まった。月曜から金曜までそれぞれ「口語」、「精読」、「聴力」、「写作」、「閲読」の授業が組まれている。

2000年9月13日(水)
朝起きたら、風邪を引いていた。朝起きたら、鼻水ダラダラ、くしゃみは出るわで大変。今日は午前は授業は無く、午後に「聴力」の授業があった。最近、いろいろと疲労がたまっているような気がする。今度、マッサージにでも行こうかなと考えている。

2000年9月14日(木) 上海で病気・診療
やはり体調がすぐれない。午前の授業が終わった後、東京海上と提携している「WORLD LINK MEDICAL CENTER SHANGHAI」に行く。体温や血圧を測るのは中国人の看護婦で、診察する医師はアメリカ人。通訳の人がちゃんとつく。喉の炎症がひどく、「一種のウィルスが流行っているので気をつけた方がいい」と言われ、抗生物質を処方してくれた。治療費の明細をちらっと見ると768元(約1万円)。もちろん保険に入っているので支払う必要は無い。こういう時、保険に加入していて良かったと思う。

2000年9月15日(金) シドニーオリンピック
今日シドニーオリンピックが開幕した。最近の中国のテレビと言えば、オリンピックに出場する中国選手団を特集したスポーツ番組や中国の選手を応援するCMなどばかりだった。自分は日本じゃなくて中国にいるんだと思わされる。ルームメイトの韓国人はオリンピックの開幕式で朝鮮と韓国の選手団が歴史的に一緒に行進する映像にくぎ付けだった。

2000年9月16日(土) シドニーオリンピック
オリンピックと並んで、最近の中国人の会話に登場する話題は、国慶節(グオチンジエ)の時の過ごし方だ。国慶節は建国記念日にあたる祝日で中国では10月1日から1週間、全ての学校は休みになる。したがって中国人は今、この1週間をどう過ごすかが話題になるわけだ。実家に帰ったり、旅行をしたりして、中国全土で億単位の人間が移動するので、当然交通機関の大混雑が予想されている。

2000年9月17日(日) シドニーオリンピック
秋晴れの日曜日。上海は台風も過ぎてこれから秋到来、といった感じ。テレビをつけるとシドニーオリンピックを特集した番組が目に付く。シドニーの選手と上海にいる両親とを中継で結んで、会話をさせたりと、テレビ局もいろんな手を駆使して視聴者を楽しませるのだろう。今日、学生食堂で飯を食っていてアメリカ人留学生のルイスと友達になる。アメリカ・ミシガン州出身で20歳。僕は彼の懸命に中国語を話そうとする態度に惹かれた。なぜなら一般の欧米人は中国で英語を通そうとするからだ。彼は結構一人で何でも行動しているし、恐れないし、カジュアルに留学生活を満喫しているように思える。

2000年9月18日(月)
今日の夕方、友達の容偉波(ロン・ウェイボー)から電話がかかってくる。彼は宮崎大学教育学部の中国人留学生で実家の広西省からの電話だった。今は夏休みで実家にいるけれどもうすぐ大学が始まるので、香港経由で日本へ戻ると言った。宮崎にいるときは何回か一緒に酒を飲んだりする仲だった。本来は上海に来て一緒に遊びたいけれど、容は上海に来る予定はないということだった。中国は果てしなく大きい。

2000年9月20日(水)
僕は国際交流宿舎「桃李苑」(タオリーエン)の4階に住んでいる。1階がロビー、2階が留学生レストラン、3階から6階が留学生が生活する宿舎になっている。交通大学に留学している外国人は、大学の外に住む人と、ここの桃李苑に住む人の2パターン。交通大学の留学生は年齢層が高く、会社の派遣できている駐在の人も少なくない。そういう人は大学の外に部屋を借りて、家族で住んでいたりする。桃李苑の留学生は若い人が多い。4割日本人、3割韓国人、残りが欧米、東南アジアといった感じだろうか。当たり前のことだが、シドニーオリンピックのテレビを見るときはみんながそれぞれ自分の国の選手を応援している。

2000年9月21日(木) 上海で散髪
最近、ずっと髪を切りたくてしょうがない。上海には下は5元から上は日本並に300元くらいまで、いろんな床屋があるが、できればそこそこの値段で普通の髪型にしてくれるような所に行きたいし。こちらの床屋の髪型は日本とは大きくかけ離れているので、散髪をするというのは一種の冒険に近い。結局留学生の間での口コミでどこの床屋がいいとかいう話になる。上海伊勢丹の2階にどうも日本人が切ってくれる床屋があるらしい。今日、留学生の友達が教えてくれた。だけど、大抵こういうところは、日本と一緒の値段になってくる。

2000年9月22日(金) 上海で散髪
とうとう髪を切りに行った。伊勢丹ではなくて上海体育場の近くにある「Z・C・R髪型創作室」というところ。名前がスゴイ。住所は蒲匯塘路101号。小さな美容院といった感じ。日本人の友達が伊勢丹より安くて、うまいし、雰囲気がいいというので行ってみることにしたのだ。髪型を中国語で説明するのは結構難しい。”揉み上げをそのままにしておいて!”とか何て言うんだろう?仕方ないから手で指差して説明した。こちらの美容師は何だか一つ一つの行動が大げさに思えてしょうがない。ハサミとくしを片手にタイヤが付いている回転椅子に座って動きまわる。いっそのこと椅子に座る必要は無いのに…。ここの美容院はしっとりした感じの音楽が流れていて、店内は清潔で気持ちよかった。散髪もまあまあの出来だったと思う。値段は散髪とシャンプーで60元(780円)。

2000年9月23日(土) シドニーオリンピック
中国は”奥林匹克”オリンピックが熱い。中国のオリンピックの選手団は今日現在で17個の金メダル、アメリカに次ぐ世界第2位の輝かしい成績である。中国ではオリンピックで金メダルを取ると、その取った選手は政府から多額の賞金や高級車を貰えて、彼らの人生は以前とは大きく変わるらしい。何のために金メダルを取りたいのか、銀や銅メダルでは意味が無いのか?オリンピックの精神に違反していないのか?と疑問を持ってしまうが、この国では国の意志が総てだから、誰も口を出す事は出来ない。ちなみに、このホームページは日本のサーバーを使用しているので、思想の自由は許されているけれど。

2000年9月24日(日)
対面の部屋に住んでいる友達(日本人)の知合いの中国人の家に招待されて、昼食をご馳走になる。食べきれないほどの料理が並んだ。家庭料理はホントにうまい。対面の日本人というのは、8月10日に来た、福島出身の人で、その時、韓(ハン)という中国人が日本から彼に付き添って上海へ来て面倒を見て、8月17日に韓だけ日本に帰った。韓は、今日本の大学に留学していて、彼の両親は上海で生活している。今日はその家庭に招待されたのだ。8月に来たばかりの友達に、韓の両親は上海での生活は慣れたか?勉強は順調か?など気にかけた様子だった。帰りに人民広場に寄った。

2000年9月25日(月) 上海の温泉
体の疲れを癒すために夜、温泉に行く。というところ。上海に来て以来何回となく来ている、清潔でなかなかお気に入りのところ。住所は、上海交通大学のすぐ外にある、いわゆる健康ランドみたいなところ。1階がフロント、2階が男性浴場、3階が女性浴場、4階が卓球やビリヤードの娯楽施設、5階がレストラン、6階が休憩室とマッサージ、美容院。よくこういう施設を作ったものだと思う。入浴料が日本円で800円前後。割と収入のある人しかこういうところには来ないんだろう。

2000年9月26日(火)
夜日本人留学生の友達とピザを食べに行く。上海人はピザが大好き。ピザハットやピザイタリアには入り口で列をなして、待っている姿が見られる。あまりにもピザを食べに来るお客が多いので、店側が客に整理券を渡して、待たせているのだ。もちろんピザ店同士の競争も激しい。サービスは日本並で、無料配達は当たり前。

2000年9月27日(水)
上海は秋到来。朝夕は涼しくてとても過ごしやすい。明日、広西省から友達の容(ロン)君がやってくるので、朝の5時に上海駅へ迎えに行かなければならない。彼は宮崎大学に留学に来ている中国人で、広東省の隣の広西省の出身、23歳。もともと上海へ来る予定はなかったけど、香港で日本行きの航空券が取れなかったので、上海へ来るということだった。香港から列車で1日かけて、明日上海へ来て、4日上海に滞在した後、10月2日に上海→大阪→宮崎経由で宮崎大学へ戻る。

2000年9月28日(木)
朝、4時半起床、上海駅に容(ロン)を迎えに行く(昨日の日記参照)。彼は列車で30時間かけて、広西省からはるばる上海へやってきた。まさか、上海で会うとは考えていなかったので、久しぶりの再会を喜んだ。容(ロン)はちょっと太った感じだった。広西省の実家では2年半ぶりに帰ったので、親の喜びは凄かったらしく、たくさんおいしい物を食べたと話してくれた。外が暗い中を交通大学の留学生宿舎、桃李苑に案内する。一般に、留学生の知合いということで、留学生宿舎に友達を泊まらせることができる。上海のホテルはどこも高いので、こうした方が安くて効率的。交通大学の日本人の友達も誘って、一緒に上海の街を案内した。容(ロン)は10月2日まで上海に滞在して、留学先の宮崎大学に戻る。

2000年9月29日(金)
広西省から来た容(ロン)を連れて、上海を案内してまわる。広東語がマザーランゲッジの彼にとって、上海語は聞き取れないし、上海人のことをあまり好きではなさそうだった。夜に日本人の友達2人も誘って、外灘(バンド)の遊覧船に乗って、浦東・外灘、両岸の景色を見る。欧米風のしっとりした建築物が立ち並ぶ、「外灘(バンド)」、そしてもう片岸のテレビ塔、グランドハイアットホテルなどのモダンな高層建築物が並ぶ、「浦東(プードン)」。遊覧船に乗るのは3回目だが、いつも新鮮な気持ちでいられるのはなぜだろう。容(ロン)は将来は中国で旅行会社の日本語ガイドになりたいらしい。遊覧船の中でそう教えてくれた。

2000年9月30日(土) 国慶節 上海の交通マナー
国慶節の前日。明日から1週間は会社や学校は全て休みになる。中国人学生は実家に帰ったり、旅行をしたりするみたいだ。国慶節の前日の夜とあって、上海はすごい人。地下鉄はかつてない、ラッシュで、ストップしてしまった地下鉄に上海人は混乱状態。状況を説明しきれない地下鉄の駅員の前で、改札を下からくぐって平気でホームに下りていったり、収集のつかない状態。日本の電車や地下鉄も混雑するけれど、日本人はどんなに車内が込んでいてもみんな我慢をして、いかに忍耐力がある民族かが分かる。中国人の場合、すぐに駅員と口論になったり、つかみあいの喧嘩、ホントに想像を絶する暴れようになる。宮崎大学に留学していて、28日に広西省から来た、容(ロン)君は、「中国はあと100年はかかるね」と、ボソッとつぶやいた。

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