TOP >> 上海留学日記2000 (2000年4月〜2001年2月の交換留学生活)
 


留学日記
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2000年6月1日(木) 家庭教師 
昼3時に家庭教師が来る。2時間の中国語レッスン。個人授業は疲れるが、中国語をずっとじゃべりっぱなしなので、早く身に付くだろう。夜は煮物を作って食べる。

2000年6月2日(金) 
すごいドシャ降りの雨。昼から小降りの雨になる。夜、上海人の友達、梁舒(リィアンシュー)と食事をする。彼はもともと、先月、日本に帰国した女の子の友達で、彼女の紹介で仲良くなった。彼は21歳で広告会社でコンピューターを使って写真を処理する仕事をしている。大学には行っていない。週に1回、日本語学校で日本語を勉強している。今日、このホームページを日本語と中国語を使って、2人で作ってみようという話をして、盛り上がった。上海人から見た日本を彼が中国語で書き、僕が日本語に訳する。今まで僕が書いたホームページの内容を彼が中国語に訳し、日中両国の人に見てもらおうという計画が今日スタートした。2人ともしゃべりたい放題、それぞれがホームページ上で表現したい事を語り合った。しかし、実現するのはいつになるだろう。

2000年6月3日(土) 上海で散髪 
髪を切りに行く。大学を出て、すぐ通りにある美容室。カットとシャンプーを合わせて30元(390円)大学の中にも5元(65円)で髪を切ってくれるところがあるが、ちょっと汚いので外の美容室に行く事にしたのだ。こっちのシャンプーは面白い。シャンプーの原液を頭につけて、少し水を加えて、15分くらい泡立てる。そんなに長く泡立てて何になるのだろう?いつまでやっているのだろう?15分くらい経って、やっと水で流してくれて、髪をカットしてくれた。切ってもらった後、寮に帰り部屋の鏡の前で、揉み上げが気に食わなかったので、カミソリで揃えた。

2000年6月4日(日) 
去年の夏、上海大学で一緒に勉強した友人と10ヶ月振りに再会する。彼は僕より5歳年上で今、無錫で仕事をしている。無錫から上海までは列車で2時間程。上海に遊びに来たついでに交通大学に会いに来てくれたのだ。夜ご飯を一緒に食べながら、それぞれの近況を話し合った。

2000年6月5日(月) 
上海へ来て2ヶ月が経過。上海での生活は慣れたが、その反面、来たばかりの時に抱いていた、緊張感や新鮮な気持ちが薄れて何かを見失っているような気がする。何のためにここに来たのか、何をやりたいのかを、もう1回考え直して、有意義な1日を送らないといけない。

2000年6月6日(火) 上海のケンタッキー 
夕方、ケンタッキーで食事をしていたら、日本語の教科書を開けて勉強している中国人の女の子を見かけたので、思い切って話しかけた。彼女が「日本語はどうやってマスターすればいいのか?」という質問をしてきて、返答にすごく困った。しかたないから自分が中国語をどうやって勉強してきたかを話してあげた。もっとも語学のマスター方法を人に訊くこと事態間違っているような気がするが…

2000年6月7日(水) 
梅雨のはずなのに、上海はいい天気。午前中の授業の後、午後は部屋で昼寝をして過ごす。

2000年6月8日(木) 家庭教師 
今日は家庭教師の日。先生の話す日常会話は聞き取れるが、彼は良く話が横道にそれて、政治や歴史の話題になると、さっぱり聞き取れない。中国語を話せるようになるにはやはり、中国の文化・歴史・政治用語が中国語で理解できなければいけないのだろう…

2000年6月9日(金) 
来月、帰国するのでインターネットで飛行機のチケットを取る。ANAのインターネットチケットレスサービスを使えば、外国にいながら日本の国内線チケットが簡単に買える。
明日、クラスメートの結婚式に出るので、スーツ用の靴を買いに行く。結局、35元(455円)の靴を買った。

2000年6月10日(土) 知人の結婚式に出席 
知人の結婚式に出席するために「花園飯店・ガーデンホテル」に行く。知人と言っても、同じクラスのクラスメートの日本人女性で、上海人の男の人と結婚するのだ。司会者は2人いて、1人が中国語で司会をしてもう1人が日本語で司会をする。新婦の両親が時折、ハンカチで目を押さえていたのが印象的だった。両親は、昨日、実家の九州からはるばる結婚式のために上海へ駆けつけたそうだ。自分の子どもが外国人男性と結婚し、これから異国で生活する事をどう感じているのだろう?新郎、新婦、新郎父親、新婦父親、と挨拶が続く。日本での一般的な結婚式を中国風にアレンジした結婚式は忘れる事の出来ない貴重な思い出になった。

2000年6月11日(日) 
結婚式の2次会でカラオケに行って、結局、朝の4時に帰ってきた。2次会では日本人と中国人がそれぞれの国の流行歌を熱唱した。

2000年6月12日(月) 
午前中の授業が終わり、午後、留学生事務室に自分宛の郵便物が来ていないか、行くと、事務室で先生2人がパソコンに向かっていたので、仕事でもしているのだろうと、ふとパソコンの画面を見ると、何と2人揃って、ゲームに夢中だった。必死になって「テトリス」をやっていた。日本のオフィスでは考えられない事だが、こちらではこういうことが日常茶飯事である。

2000年6月13日(火) リターンビザ(再入国ビザ)取得 
梅雨にもかかわらず、晴天。午後、再入国ビザの手続きの為に、ビザセンターに行く。来月、日本に帰るので、また中国に入国する際の、ビザ手続きをして、出国しないといけない。タクシーだったら、20分くらいで行ける道のりを、ひたすら1元(13円)のバスに揺られて、1時間かけて目的地へ行く。往復2時間。バスに乗った方が、いろいろな中国人を観察できて、興味深い。

2000年6月14日(水) クリーニング 
今日もいい天気、大学の中のクリーニング屋にスーツを出しに行ったら、そこのおばさんが、「日本語を勉強している」と言って、教科書を見せてきた。僕の顔は中国人みたいだけど、話す中国語がどうも変だったので、すぐ日本人だと分かったらしい。「日本語は表現法がたくさんあってどれを使えばいいか迷ってしまう」と言われた。上海語と日本語は発音に共通する所があって、日本語を勉強する人が多いとは聞いていたが、まさかクリーニング屋のおばさんまでもが日本語を勉強しているとは思わなかった。

2000年6月15日(木)
梅雨を思わせない良い天気が続いている。昼過ぎ、母親から電話がかかってきて、久しぶりにいろいろ話をした。7月の一時帰国をとても楽しみにしているみたいだった。そういえば、こちらには”マザコン・mother complex”という概念が無い。高校生の男が母親と2人で、買い物をしていたり、一緒に散歩をしていたり、そういう光景をよく見る。中国では母親の悪口を言われることは、その人を罵ることを意味する。中国人同士の喧嘩では、”母親”の単語が出てくる、下品な表現で相手を思い切り侮辱する。

2000年6月16日(金)
午後、ゆっくりと休憩をする。夜は親子どんぶりを作って食べる。夜10時くらいから仲の良い日本人留学生の部屋に行って、赤ワインを飲む。2時間くらいたわいも無い事を話して、良い気分。神戸出身の彼は来月帰国する。もう1人の仲の良い日本人留学生の女の子も故郷の山口へ来月帰る。何でも話すことができる数少ない日本人の友人が1人1人、上海を後にしてゆく。

2000年6月17日(土) 中国人との友達付き合い
午後、「口語」の授業の宿題をする。夕方、上海大学の友達から電話がかかってきて、一緒に遊ぶことに。李、郭の2人と人民広場で待ち合わせをして、まず「ケンタッキー・肯徳基」で夕食を。その後、一緒に卓球をする。1時間ひたすら試合をする。ゴールデンウィーク以来、彼らと会っていなかったので、かなり久々遊んだという感じだった。李は来学期、9月から大学の外国語で日本語を選択すると言った。俺の影響だろう…

2000年6月18日(日)
ひたすら「口語」の授業で出された宿題を仕上げる。気が付くとレポート用紙10枚近くになっていた。今日の夕方、屋台で初めて「羊肉」の串焼きを食べた。1本、1元(13円)。去年の夏、羊肉の屋台で注文していないのに勝手に焼いて、お金を請求してきてだまされた、あの嫌な思い出をどうにか吹っ切る事が出来たようだ。

2000年6月19日(月) 
普通に授業を受けて、何も無し。昼食はいつものようにクラスメートと食べる。大体昼は、クラスメート5、6人で、留学生食堂で食べる。クラスメートといっても、若い人から年配の人まで年代はバラバラ。そういう人たちが円卓で中華を食べながら、楽しくお喋りをする。

2000年6月20日(火) リターンビザ(再入国ビザ)取得
午後、先週申請していた、リターンビザ(再入国許可証)を取りに行く。これで来月安心して日本に帰れる。夜、野菜炒めを作って食べる。寮での生活はいつでも仲間と一緒で楽しい反面、付き合いが煩わしく感じる時もある。

2000年6月21日(水)
夕方、広告会社に行く。この会社でプログラム関係のアルバイトをするべく、社長、webデザイナーの方と話をする。正式にアルバイトをするのは、9月以降になりそう。この雑誌が持っているホームページのCGI関係の分野を担当する事になる。

2000年6月22日(木) 卒業
新学年が9月からスタートする中国では今が卒業シーズン。交通大学の中でも、「2000年、交通大学卒業生」の文字がプリントされたTシャツを着た学生をよく見る。卒業生には大学側がプレゼントするらしい。自分が交通大学の学生で、今年卒業する事を誇示したいのか?あるいは大学側が強制的に学生に着させているのか?Tシャツを見て、様々な疑問点が頭をよぎった。今日、地下鉄のホームで今年初めて、かき氷を食べた。ストロベリーのかき氷で、値段は6元(78円)。はっきり言って、日本のかき氷よりもこちらの方が、はるかにおいしかった。

2000年6月23日(金)
今日で今期の授業は終わり。来週1週間は試験準備のため授業はなく、再来週に試験があって、今学年は修了する。日本の場合、3月がお別れの季節だけど、上海(中国)は今の時期がちょうど、卒業、別れの季節。何人かの日本人は大学を変わったり、日本に帰るので、昼はクラスメート10人で、一緒に食事をする。夜は、バイトが決まった広告会社でコンピューターの説明を受けた後、会社の人たちと食事をする。この広告会社は、日本人向けに上海を紹介する月刊の情報誌を出版している。

2000年6月24日(土) 
上海人の友達の梁舒(リィアンシュー)が部屋に来て、自転車に乗って一緒に上海体育館に行く。彼は時々、体育館の側でスケボーをやっていて、そこに友達がたくさんいるから、と行って見てみることにしたのだ。今日はすごい暑さ。汗がダラダラと出てきて、真夏のようだった。梁舒は21歳で、コンピュータ関連の会社で働いている。1週間に1回、日本語学校で日本語を勉強している。将来は日本に行きたいらしい。彼の幼なじみは、みんな大学に行っていて、自分だけ高卒であることを”没有面子”(メンツが立たない)と悔やんでいるが、そう悲観的になる事はないと僕は思う。

2000年6月25日(日) 
今日、上海の最高気温は34度に達した。凄い暑さ。ちょっと外を歩いただけでも、汗が次から次に出てくる。月刊誌「上海采風」に記事を載せる際に、1枚、写真が必要らしく、自分の上海での出発地点である上海大学へ行った。去年の夏出会った、一番初めの友達、李(リー)と一緒に撮った写真を雑誌に載せることにしたのだ。夕方、交通大学に帰る時の地下鉄で聾唖(ろうあ)者のカップルに出くわす。手話で会話をしている。当たり前のことだが、中国にも障害者がいるのだと思った。上海電視台でちょうど今、放送している日本のドラマ「星の金貨」をふと思い出した。

2000年6月26日(月) 
昨日と同じく蒸し暑い。師範大学の日本人の友達と上海音楽学院に行く。夏休みの短期中国語講習がないか、訊きに行ったのだ。その後、バイト先の広告会社へ行って、いろいろ説明を受ける。正社員の女の方と2人でこの会社のホームページを担当していく事になる。

2000年6月27日(火)
明日から3日間、無錫へ旅行に行くので、電車の切符を買いに上海駅に行く。上海から無錫まで列車で約2時間。上海の日本語学校で日本語を勉強している友達の実家が無錫にあって、彼の郷里を訪ねる。上海⇔無錫の電車賃は片道20元(260円)。ケンタッキーのセットメニューと同じくらいの金額。

2000年6月28日(水)〜30日(金) 無錫へ旅行に行く
無錫への旅日記1

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