TOP >> 上海留学日記2000 (2000年4月〜2001年2月の交換留学生活)
 


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2000年5月1日(月) ゴールデンウィーク,上海のパソコン街 
中国では今日からゴールデンウィークが5月7日まで続く。今日はメーデー・労働節(ラオトンジエ)である。街にはたくさんの人であふれ、とてもにぎやかだった。
午後には中国人の友達と一緒に上海一のコンピューター街に行く。”電脳城”という名前のデパートで1階から4階まで全てパソコンや周辺機器だらけ。日本の秋葉原をモデルにしていると聞いた。今、上海で人気のあるパソコンメーカーの名前とかを友達が教えてくれた。中国製のノートパソコンは時々故障するので日本製の方が人気があるらしい。自転車に乗るのは2日目にしてようやく慣れた。こちらでは車は日本と逆の右側を通る。よく見ると自転車も車と同じ右側通行だ。たくさんの自転車がぶつかり合うことなくそれなりに秩序があることと上海(中国)で自転車がいかに重要な役割を果たしているかという事を気付かされる。

2000年5月2日(火) ゴールデンウィーク 
今日は北京から友達が来る事になっていたので、待ち合わせ場所の上海大学に行く。ここは去年の8月に1ヶ月間中国語を勉強した場所で今日会う北京の友達も同じように去年の夏、共に過ごした仲間だ。今は北京中央民族大学に留学していてゴールデンウィークを利用して、今日上海に来るのだ。思い出の上海大学で再会する事にしたのだ。約8ヶ月ぶりに再会して、一緒にご飯を食べながら北京と上海の違いとかを聞かされる。今年から中国でも始まったゴールデンウィークは中国人は旅行をして過ごすらしい。中国全土の人間が移動するのだから凄い事だ。そういえば上海駅は人であふれ返っていたなあ。北京から来た友達とご飯を食べた後、交通大学で泊まる手配をしてあげて、今度は一緒に酒を飲む。彼は数少ない親友の1人で、8ヶ月ぶりの再会はこみ上げてくるものがあった。上海に4日間滞在して北京に帰る予定なので、その間一緒に街を案内したり遊ぶ事になっている。

2000年5月3日(水) ゴールデンウィーク,華亭路 
北京から来た日本人の友達、それに上海大学の郭と師範大学の日本人の友達、合計4人で”華亭路”(フアティンルー)に行く。この華亭路は自由市場で偽ブランドの宝庫。あらゆるブランドの靴やバッグ、衣類の偽物、流出品が安い値段で売っている。とにかくすごい人だ。普通の日でさえ混んでいるのに、ゴールデンウィークとだけあって身動きが取れないくらいの混雑し様だ。非番の公安も買い物をしているからビックリだ。北京から来た友達は明後日には北京に帰るので、それまでにいろいろ買い物をしたり友人と再会したいらしい。中国はもうすぐWTOに加盟するのでそうしたら海賊版のCDやVCD、それに華亭路に並んでいるような物は消えていくだろう。そんなことを考えながら華亭路をあとにした。

2000年5月4日(木) 上海で病気・診療 
おとといから風邪を引いていた。今朝、起きると、熱が出て、体がだるかったので、北京から来た友達は1人で買い物に行かせて、病院へ行く事に。東京海上の保険に入っていたので、その提携先のWorld Medical Centers Shanghaiに行く事に。1人でタクシーに乗って行くのは不安だったので交通大学の友達の孫国榮に電話して、連れて行ってもらうことに。彼は心配してすぐ駆けつけてくれた。こういう時に友達のありがたさを実感する。中国には「家では両親が頼り、外では友達が頼り」という言葉がある。一生の中で家にいる時間は少なくて、あとは友達を頼りにして生きるということである。だからできるだけたくさんの友達を作り、困った時にはお互い助け合うというふうに、日本以上の固い友情と信頼関係ができるのである。夜は、北京の友達を連れて外灘(バンド)を案内する。本当は安静にしておかなければならないのに…

2000年5月5日(金)
体は大分良くなった。北京から来ていた友達が今日北京へ帰るので、上海駅へ見送りに行く。わずか4日間の再会で、まだまだいろいろ話をしたかったが、今度は秋にこっちから北京へ会いに行く約束をした。夜はルームメイトがカレーライスを作ってくれた。上海に来て今日でちょうど1ヶ月が経ち、気が付くと多くの中国人の親友(好朋友)に囲まれて充実した毎日を送っている。中国にいると日本にいる時以上に人間関係の重さというか、人付き合いの大切さを実感する。

2000年5月6日(土) 中国銀行 
中国銀行に口座を作りに行く。手続きは意外と簡単、カードを作るのならば、5元(65円)の手数料がかかる。何をするわけでもなく、のんびりと休養を取る。午後に親に電話をかけ、専門の電気関係の教科書やファイルを送ってもらうように頼む。

2000年5月7日(日) 
ゴールデンウィーク最終日。部屋の掃除をしたりして、ゆっくり過ごす。午後から上海采風の記事を書くが、思うように書けない。

2000年5月8日(月) 
ゴールデンウィークが終わり、今日から授業が始まる。武漢に帰っていた友達が上海に戻ってきて、彼は武漢の特産らしい鶏スープを夜、食べさせてくれた。わざわざ武漢から僕のために持って帰ってくれたみたいだ。本当に中国人の友達思いには頭が下がる。今度はこっちが日本料理を作ってご馳走してあげると約束した。

2000年5月9日(火) 
午前中の授業に出た後、午後は花園飯店(ガーデンホテル)に行く。このホテルの中には幾つかの日系企業が事務所を構えていて、其の内の某会社で、アルバイトをしたいと思って面接を受けに行ったのだ。今日は夕方から久しぶりの雨。路上で傘を売っている人を見かける。この国では何でも商売になるのだな…と思いつつ寮へ帰る。

2000年5月10日(水) 
午後は交通大学のコンピューター専攻の学生と交流する。夜はバイトで必要になるかもしれないCプログラミングを復習。

2000年5月11日(木) ミスタードーナツ 
昼食は淮海中路にオープンしたばかりのミスタードーナツに行く。正式営業は18日からで今は試験営業中みたい。ウェイトレスに両手でレシートを渡されたり、お辞儀をされたり、日本のマニュアル通りだ。ドーナツの値段は4元から7元くらい。日本より若干安めといった感じでだが、バスに1元で乗る中国の物価から考えると、相当高いだろう。中年のスーツを着た日本人が店のスタッフにあれこれ指示をを出していた。おそらく日本から来ているマネージャーだろう。こっちに寄って来たのでちょっと話を聞いてみた。

Q.どういう客層を対象にしているのですか?
「ターゲットは10代から20代の女性だね。あとは外国人も視野に入れている。」
Q.ちょっと値段設定が高くないですか?
「いや、そんなことはないよ…」

コーヒーのお代わりが出来ないのが、ちょっと不満だった。

2000年5月12日(金) 家庭教師 
午前中の授業が終わり、午後3時に家庭教師の先生が来る。今日から毎週1回2時間ほど、中国語の家庭教師を頼む事にしたのだ。華東師範大学の大学院生で結構丁寧に指導してくれた。個人レッスンは大勢で受ける授業に比べると、かなり疲れるが、ずっと中国語を喋りまくるので、会話の力がつくだろう。

2000年5月13日(土) 外文書店・上海書城
昼から外文書店に行く。ここには外国語を学習する人向けの書籍が豊富で、授業で使っている教科書のカセットを買いに行ったのだ。夜は寮の人と日本酒を飲む。上海に来て以来,日本酒を飲むのは初めてで、懐かしい味。やっぱり自分は日本人の血が流れているのだとつくづく感じる。

2000年5月14日(日) 
何をするわけでもなく、のんびりと休日を過ごす。午後から少し中国語の勉強をする。夕方、インターネットのasahi.comで小渕前首相死去のニュースを知る。夕方の上海電視台のニュースでは国際のコーナーでトップでこの事を伝えたが、わずか1分たらずだった。ほとんどNHKの映像を使っていた。もっと取り上げてほしい気もするが、国が違うのだから仕方ないだろう。

2000年5月15日(月)
とりあえず、新聞を買って、小渕前首相の死去のニュースをどのように伝えているのか見てみる事に。夜は、日本人の友達が明日、日本に帰るので、送別会をした。人との別れはつらいものがある。

2000年5月17日(水)
やっと上海采風の記事を書き上げる。けれど今度は来週までに、中国語に翻訳しなければならない…

2000年5月18日(木) 
朝、3時まで日本人留学生にパソコンを教えていて、結局授業を休んでしまう。こちらに来て、始めて授業をサボってしまった。パソコンに小学館の「日中・中日辞典」をインストールしたので厚い辞書をいちいち引く必要がないので、幸せ。

2000年5月19日(金) 
日本から米や味噌、みりん、しょうゆ、カセットコンロが届いたので、早速、味噌汁を作って、中国人の友達に食べさせてあげた。自家製の味噌なので、宮崎の実家を思い出して、懐かしくなった。

2000年5月20日(土) 浦東 
中国人の友達の誘いで浦東(プートン)に行く。浦東は今、上海市が最も力を入れている開発区で以前、農地だったところに、高層ビルが立ち並び、新しい国際空港もこちらに建設された。彼の友達が浦東にいるということで紹介してもらい、夕食をご馳走になった。もう一人韓国人の友達も来て、日・中・韓の過去の歴史やこれからのことなど、政治・文化を含め、話は盛り上がった。

2000年5月21日(日) 
同じ階に住む日本人の女の子の友達(中国人)が中華料理を教えてくれると言う事で、それに参加した。こちらは日本の味噌汁を振舞って、味わった。午後は携帯電話を買いにデパートへ行く。上海の携帯電話は最初の機器代がすごく高くて2,3万円するが、月々の基本料金がいらないので、長い目で見ると、日本の携帯よりも合理的で経済的だろう。使わなければお金を払う必要が全然無いので。ただ、着信でも料金を取られるのは意外だった。

2000年5月22日(月) 
部屋の引越しをする。6階から4階へ。クラスメートが荷物を運ぶのを手伝ってくれた。

2000年5月23日(火) 
上海は真夏のよう。だらだらと汗が出てくる。国際寮の中にLAN(ローカル・エリア・ネットワーク)が新設されて、各部屋に端末が来たので、それを使うべく、LANカードを買いに行く。

2000年5月24日(水)
部屋の中は、空調(コンティアオ)が効いていて涼しいが、外に出ると、すごく暑い。夜ご飯は日本から送ってきた「しょうゆ」「みりん」「だしの素」を使って、肉じゃがを作る。材料費は5元(約65円)。

2000年5月25日(木) 上海で病気・診療 
久しぶりの雨。午後、日本人の知り合いの女の子が具合が悪いみたいで、病院に付き添いに行く。中山医院(ジョンシャンイーユエン)という、外国人外来がある病院。日本語ペラペラの看護婦がたくさんいて、ちょっと気持ち悪い…(笑)。

2000年5月26日(金) 
疲労困憊で授業を休む。どうも最初の1ヶ月間は気が張り詰めていて、それほど疲れは出ないらしいが、2ヶ月目になると緊張がほぐれて、疲れがでるらしい。宮崎大学の友達から毎日のように来る、e-mailを見て、いつも元気付けられる。e-mailがなければ、ホームシックになっていただろう…。e-mailで宮崎大学学園祭が今日から始まった事を知る。夜に中国人の友人が同窓会をするという事で、それに参加する事に。彼の高校時代の同級生が5人ほど集まってそれにお邪魔した。みんな仕事をしていて、船舶や通信関係の会社など様々。日本人の「飲めや、騒げや」の飲み会に比べると、中国人の飲み会はお互い会話を楽しんでいて、すごく自然だとつくづく感じる。しかし何かにつけて乾杯するのは日本といっしょかも。共通の話題を見つけては、乾杯する。

2000年5月27日(土) 上海のタクシー 
夜に日本人の友達と共に外灘(バンド)の近くに飲みに行く。行く時のタクシーの中で携帯電話を落としてしまうが、タクシーから降りて2分もしない内に運転手さんが持ってきてくれた。上海にもこういう運転手さんがいたのかと感動する。タクシー会社はマニュアルは一応あると思うが、あとはその人、個人個人の性格によってサービスが全然違う。デパートや普通のお店も同じで、親切な店員もいれば、無愛想な店員もいる。マニュアルとおりに一定のサービスを提供する日本とは明らかに異なる。

2000年5月28日(日) 上海撮影院 
上海郊外にある「上海撮影院」に行く。知り合いの日本人留学生の叔父さんが上海に暮らしていて、映画関係者と交流があるので、特別に案内してくれることになったのだ。中国で有名な北京・上海・長春・香港の4大撮影所の1つである。アクションの演技を見た後、テレビの俳優さんや香港の映画スターに演技指導をする人と酒を飲んだり話をしたり、夢みたいな気分を味わう。今度andy lauやレスリーチャンが上海に来た際は会わせてくれると約束してくれた。(上海ギャラリー8)

2000年5月29日(月) 
夜、日本料理屋「伊東屋」でてんぷらうどんを食べる。55元(約715円)、高すぎる。

2000年5月30日(火) 梅雨入り 
上海は梅雨入りしたみたい。これから1ヶ月ほど、雨が続く…。夜の中央電視台CCTV-1のニュースでは「森首相の支持率が急降下」と報じていた。

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