TOP >> 上海留学日記2000 (2000年4月〜2001年2月の交換留学生活)
 


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2000年11月23日〜29日

2000年11月26日(日)  前日 翌日

 万里の長城へ行く予定だったが、乗るはずの列車が旅行シーズンでないため、来なかった。仕方がないので、部屋に帰る。北京中央民族大学は少数民族が通う大学。新疆ウイグルや内モンゴル族、回族、イ族などの学生と出くわす。キャンパスの中では、少数民族の言葉が聞えてくる。上海では考えられない。少数民族がかかえる様々な問題を友人が教えてくれた。民族大学の周りには少数民族の食堂が並んでいる。夜は雲南省のタイ族の料理を食べた。

上海にいるとあまり意識しない事だけれど、中国には56の少数民族が存在している。一般に中国人といった場合は、漢民族とそして、これらの少数民族も含んでいる事を忘れてはいけないだろう。

中央民族大学に隣接する通りに「魏公村路」と呼ばれる通りがある。通称この通りは「新疆街」と呼ばれている。時代をさかのぼること、元の時代から新疆ウイグル自治区のウイグル人たちが住みだして、いつのまにかウイグル人のコミュニティができていった通りだ。この「新疆街」や新疆のウイグル人については、近くの中国人からはあまり評判がよくない。なぜなら、ウイグルの人たちが度々、歩いている人の金品を奪い取ったり、暴力事件を起こしたりと、悪い印象を与えてしまっているからだ。いつのまにかこの「新疆街」は治安の悪い通りとして有名になり、普通の中国人は危険だと嫌い、避けるようになったということだ。 翌日へ


青色の通りが通称「新疆街」と呼ばれる通り

@新疆街の入口
新疆ウイグル自治区の人が多く住むことから、この名が名づけられた。ウイグル人は西洋人の顔つきをしている。

A再開発に指定された「新疆街」
煉瓦造りの住宅も取り壊され、今は見ることができない

B「新疆街」
人通りは昔に比べるとめっきり減ったらしい

この「新疆街」が今年初め、北京市政府により「再開発地域」に指定された。煉瓦造りの通りも、ほとんどが取り壊されていって、今では本来の姿を見ることはできない。ほぼ「新疆街」はなくなりつつある。北京市政府の「再開発」の意味は果たして何なのだろうか?政府の見解で見れば、治安の悪い地域を取り壊し、今後の市の治安向上と発展に役立てるものであると理解できる。多くの中国人が怖がって、近づかない場所であるから。しかし、これまでここに住んでいた新疆ウイグルの人々にとっては、長年存在してきた民族のコミュニティが壊され、廃墟と化してしまうのである。「再開発」はこの「新疆街」だけではなく、北京市内の他の地域でも進められている。ただし、この「新疆街」に関しては、特別視する必要があると思う。本来、少数民族というのは立場が弱く、守られる立場になければならないはずだ。長年「新疆街」で暮らしてきた少数民族の新疆ウイグル人たちにとって、この場所が再開発地域に指定される事は、行き場を失う事に他ならないのである。実際、新疆街を歩いた時に再開発に反対する落書きが塀に書かれてあり、それをペンキで塗りなおした後も目にした。日本人にとって民族問題を理解するのは実に難しい。理解したつもりであっても、彼らの本当の心の奥の気持ちを理解できているわけではないから。

中国を構成する56の少数民族、彼らは漢民族が用いる漢字とは別にそれぞれの言葉や文字を持っている。少数民族が一般の中国人と結婚する事で、本来の民族の言葉を使わないようになれば、彼等の下の世代は少数民族の言葉や文字を理解できなくなる危険性もあるのだ。北京中央民族大学に留学する日本人の友人は、普段上海にいると考える事のない民族問題について、様々なことを気づかせてくれた。

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