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日本人に伝えたい中国の農村 無錫市馬山から
2000年10月27日〜29日

1.日本人のイメージする中国の農村と現実

2回目の無錫、今回は無錫市内というよりも友人、許贇(シイン)の実家のある馬山(マーシャン)にスポットを置いた旅になる。無錫市へは上海から列車で1時間10分ほど。以前に比べるとかなり速くなったものだ。無錫市は上海の北西に位置し、中国で3番目に大きい湖「太湖(タイフー)を有する。近年の改革開放で、無錫の経済は発展を遂げており、生活レベルも着実に上がっている。そして無錫市内から車で1時間ほど、入ったところに許贇(シイン)の実家、馬山(マーシャン)がある。馬山は人口3万人の農村、無錫市内とは全く異なる自然の風景が広がっている。もともと馬山は一つの島だったらしい。1979年の道路建設によって、無錫市と橋でつながり、半島になった。そもそも馬山の人口は1万人で、この道路建設で外地から2万人が流れ込み、現在の3万人になったらしい。今回の旅は、この馬山での中国人の生活ぶりに密着する。

日本人は中国の農村について、貧しく、困難な生活を送っていて、悲惨な状態にさらされていると思っているのではないだろうか?僕自身は、実際、農村を目にするまではそういうイメージを持っていた。しかし、内陸の一部を除いて、中国の一般的な農村は、豊な生活を送っていると言えよう。


人口3万人の農村、馬山(マーシャン)

許贇(シイン)の親戚たち。食事の後の団らん。都会と農村に住む中国人では、考え方が異なる農村には農村独自の生活様式がある

粗末なバスに揺られる事、1時間、9時半に街から離れた農村の「馬山マーシャン」とへたどり着く。風景が街から農村に変わっていくとともに、目の前に大きな大仏が姿を現した、「霊山大仏」だ。馬山の上にそびえ立つ「霊山大仏」は馬山のどこからも拝む事ができるらしい。ここは茶の産地で許贇(シイン)の実家がある。馬山は人口3万の農村で、馬山語という方言を話す。昨日は無錫語、今日は馬山語。中国にはホントにたくさんの方言があって、全く違うので、何を言っているかさっぱり分からない。彼の両親が昼ご飯をご馳走してもてなしてくれた。「太湖タイフー」で採れる魚やエビやら普段は高くて買わないらしい。2時間かけて、ようやく料理が完成した。中国人の客のもてなし方は日本人以上の物がある。でも、これでも今日は料理数が少ないと言っていた。許贇(シイン)の父親は馬山中学校の物理の教師、母親は農民。昼ご飯の後、観光地「霊山大仏」を訪れる。本来なら入場料が50元かかるが、さすが中国、彼の顔パスで無料になった。ここで、日本人の旅行客、それも九州出身の人と出会う。夜は許贇(シイン)の家に泊めてもらう。


許贇(シイン)の祖母は85歳。最近、体を悪くしているらしい。久しぶりに上海から帰って来た孫との再会を喜んだ。

許贇(シイン)の実家。農村にあるとは思えない、立派な建物。来る前は、木や瓦で作った、粗末な家を想像していたのだけど…

豊かな生活とは何かとは一概には言いがたいが、決してここで生活する人々の顔の表情は決して暗くない。自然と共存した生活を送っているのだ。今回の馬山(マーシャン)を例に取ると、友人の許贇(シイン)の家では、江南一帯の恵みを受けながら、あらゆる野菜、米、茶、みかんなどを作り、とりわけ食料に困る事はないだろう。確かに所得は都市に比べると少ないが、物価も安い。悠々とした時間の中で、都市とは異なる農村独自の生活が営まれている。

2.友人、許贇(シイン)が語る『進む開発と自然環境との共存』

3.馬山の人々の茶にかける思い


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