TOP >> 上海留学日記2000 (2000年4月〜2001年2月の交換留学生活)
 


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日本人に伝えたい中国の農村 無錫市馬山から
2000年10月27日〜29日

2.友人、許贇(シイン)が語る『進む開発と自然環境との共存』

馬山は現在、観光地としての開発が進められている。馬山で育った許贇(シイン)にとって、この開発は馬山の発展のためにも、喜ばしい事ではあるが、同時に、豊かな自然環境に与える影響への考慮が乏しいと警告する。かつてはラジオ局の記者をやっていた彼が、馬山の有るべき姿を語ってくれた。

  馬山を一言で表現すると「現代的世外桃源」だろう。この意味は素晴らしい「自然・美しさ・生活方式・観念」の意味を含んでいる。馬山の人々はとても親切で、外地から来た人を大切にもてなす「好客」であると思う。馬山を素晴らしい観光地にするのであれば、しっかりとした画策と開発が不可欠であると思う。これは馬山の全ての自然と資源を保護する事を意味している。しかし、現在、馬山区政府の政策は良いとは言えない。彼らの政策は合理的な画策に欠けていると思う。馬山の自然風景を保護せずに、馬山の茶文化、馬山の伝説、名所旧跡など、馬山古来の文化を理解していないと思う。本来ならば、これらの文化を素晴らしくそして合理的な経済様式と結び付けなければならないはずだ。合理的な経済様式とは、市場をできるだけ自由化、開放し、そして政府が管理能力を強化することである。このようにすれば、馬山の発展は必ず良い方向に向かうと思う。政府の責任は管理社会にある、政府は開放を恐れるべきではない、なぜならば、市場の開放とそれから来る悪い影響は、積極的(肯定的)に市場へ向かうはずであるから。


緑色の浮いているもの、これは工場排水の化学物質「リン」だ。進む開発の中で、中国3番目の大きさを誇る湖、「太湖」は、汚染にさらされている。

「太湖」の淵を許贇(シイン)と歩く。自分が小さい頃は、太湖の水はきれいで、安全に飲めていたのにと惜しがる。

農業と共に観光事業が馬山の経済を支えている。写真は日本人観光客も訪れる「霊山大佛」。この大佛は馬山のどこからでも、拝む事ができる。

許贇(シイン)と母親、それに許贇の姉の子供。母親は農民、父親は物理の教師。

許贇(シイン)のプロフィール
1975年7月31日、無錫市馬山出身、小学・中学を馬山で過ごす。1991年無錫第1中学に入学。無錫第1中学は無錫で最も優れた学校で、日本とのが学生交流も盛んに行われている学校である。高校を卒業後、建築・医学を学ぼうと大学を受けるが失敗し、無錫の江南大学で機械を学ぶ事に。同時に南京大学でニュース・新聞記事について学ぶ。江南大学で彼は機械の講義にうんざりする。その理由として次の3点を指摘する。@教育の中身があまりに古すぎる、A教授のレベルが低すぎる、B教え方が悪い---彼はほとんど機械の勉学を断念し、芸術方面に多くの時間を費やすようになる。大学4年の時、、学生による無錫史上初めて、書道の個人展覧会を開く。大学卒業後自動車修理会社で社長の補佐として働くが10ヶ月後会社を辞め、南京の江蘇ラジオ局(江蘇電台)で記者になる。しかし記者生活も5ヶ月で終わる。その後、知合いの日本人の誘いで彼の会社(日系企業)の中国での事業を手伝う事になる。その知合いの日本人とは大学4年の時に出会い、その後の彼の人生の原動力になったと振り返る。2000年4月から、上海の日本語学校で日本語の勉強を始める。日本語を始めて、半年が経った。将来は日本へ留学し、日中の友好に貢献したいと考えている。

1.日本人のイメージする中国の農村と現実

3.馬山の人々の茶にかける思い


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