・ミッドタウン1 |
■世界貿易センタービル(World Trade Center)跡地「グランド・ゼロ」 自由の女神行きのフェリー乗り場から北へ15分ほど歩くと世界貿易センタービル跡地へ着く。今回、僕がどうしても見ておきたかった1つだ。2001年のアメリカ同時多発テロから6年、2749人の死者を出した惨劇の場所は急ピッチで進む工事現場に変わっていた。
跡地は周囲をフェンスで覆われているが、一部の限られた場所から中を覗き見ることができる。工事車両が行き交う現場からは、ここに本当にツインタワーがあったのか?とは想像できないくらいだ。ただ、フェンスにくくりつけられている「This is A Special Place」の文字がなぜか僕の心に響き、涙がこぼれそうになった。「This is A Special Place」のあとには次のように続く。 Please help us to maintian this site as a very special place.Please do not purchase any items or services here,or donate money to people soliciting here, so that this place can be fully appreciated by all visitors.
フェンスに沿ってしばらく歩くと地下鉄の駅、World Trade Center駅に着いた。駅の近くには911に関する写真パネルの展示や事件当日の詳細が時系列で書かれているボードがある。また、犠牲になったすべての人たちの名前も刻まれており、こんなに多くの人たちの命が一瞬にして奪われたかと思うと、あらためて事件の凄惨さを感じる。
ここへ来て観光地でのセキュリティチェックが異常なくらい厳しいのも分かる気がした。テロ事件から6年が経つが、ニューヨークの人にとって、911はそんなに遠い過去のことではないのだと思う。皆、口には出さないがどこかでテロに対する恐怖や不安は今も感じているのだろう。ニューヨークは至る所にアートがあり、活気に満ち溢れている。あの911を乗り越えて今のニューヨークがあるのだと思うと、とても感慨深い。
▼Wikipediaからの引用です 9/11後膨大な床面積のオフィス物件を失い、市内からの企業流出を恐れるニューヨーク市などはローワー・マンハッタン再開発会社を設立、ここに WTCを再建する計画がスタートした。しかし再開発にあたっては遺族感情もあるため、誰もが慎重にならざるを得なかった。当初案はオフィス再建一辺倒だったため遺族の反発を買い、世界の建築家を招いたコンペを経て、ダニエル・リベスキンドの「メモリー・ファウンデーション」と題する案が1等となり採用された。ポーランド生まれドイツ在住のリベスキンドはベルリン・ユダヤ博物館に代表される祈念モニュメントの設計に定評があり、今回も尖塔までの高さ1776フィート(541m、アメリカ独立の1776年にちなむ、ただし建物部分は70階建)の自由の女神を模したフリーダム・タワーがそのデザインの中核を占めていた。 しかし港湾公社は9/11テロ直前の2001年7 月、ニューヨークの不動産開発業者ラリー・シルバースタインにWTCを長期リースする契約を交わしており、その結果シルバースタインが事実上の再建施工主となったため、事態は複雑な様相を呈するに至った。商業価値を優先するシルバースタインはモニュメントとしての性格が強いリベスキンド案を嫌い、SOMのデイヴィッド・チャイルズを参加させて設計に大幅な変更を加えたため、リベスキンドとの間で訴訟沙汰となった。両者は和解し、新たにリベスキンド・チャイルズ折衷案が公表されたものの、今度は警察当局や米国本土安全保障省などから保安上の設計変更が求められ、さらに港湾公社やこれを管轄するニューヨーク・ニュージャージー両州議会などの意向も加わり、設計は変更に変更を重ねることになった。 2002年半ばまでに残骸は全て撤去され、以後、地下鉄やパストレインの再建が始まった。WTC再建の第一歩として、新7WTCが2006年に落成、WTC全体の再建事業完成は2010年代になると見込まれている。(引用元:Wikipedia) 世界貿易センタービル跡地をあとにして近くの金融街へ向かった→ロウアーマンハッタンへ
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